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「日本の伝統芸能を守りたい」日光さる軍団を率いる、村崎太郎の野望



「反省」のポーズで有名な太郎次郎。


2019年10月にはデビュー40周年となり、猿回しによるシェイクスピア作の悲劇『ハムレット』を好演しました。

村崎太郎とコンビを組む次郎は、現在5代目となります。


40年ものあいだ、初代次郎から5代目となる現在まで長い間コンビを組み続け、猿回しを続ける野望はどこに向かうのでしょうか。




村崎太郎の生い立ち



村崎太郎は山口県光市に生まれ育ちました。


祖父から受け継いだ平屋での生活は貧しく、苦しい生活でした。

生活を楽にするためには、勉強して良い会社に入るべき、そう考えた村崎太郎は山口県立光高校に進学しました。


そんなある日、兄のライブに行くとギターの魅力に目覚め、猛練習の末に弾き語りをするようになりました。

そんな矢先、村崎は父から猿まわしになることを勧められたのです。


村崎家は曽祖父から続く代々猿まわしを生業とする家でしたが、村崎の父の代で約20年ほど途絶えていました。


「そうは言っても猿はいないし......。」と決めかねていたところ、


現在の公益財団法人日本モンキーセンターから2頭の猿を譲り受け、猿まわし師になる決意を固めました。

2頭のさるの名前は「太郎」と「次郎」。


さるの太郎は身体が弱く、芸ざるにはなれなかったために次郎とコンビを組むこととなりました。


コンビ名は周囲の進言に従って、村崎太郎の本名とさるの名前からとった「太郎次郎」となりました。



太郎次郎が有名となるきっかけは、銀座


さるの次郎との路上ライブは反響がよく、19歳で上京。銀座の歩行者天国や西銀座チャンスセンター前などで路上ライブを行いました。


その様子を偶然目にしたディレクターから出演オファーがあり『笑っていいとも!』に出演。

出演翌週に、さるの次郎が脱走事件が発生。


警察が出動して探した末に捕獲された時に「反省」ポーズをして注目を集めたこと、『笑っていいとも!』テレビ出演がCMプランナーの目に止まったことを端に発して大ブレイクしました。

国内のみならず海外からもオファーが殺到し、米国ニューヨークのリンカーン・センターで公演、さらには世界有数のテレビ局であるABCの生放送に出演するなど人気を博しました。




伝統芸能「猿まわし」の継承を目指して



村崎太郎2015年4月より、日光さる軍団を引き継ぎ、芸の発展と継承に力を注ぐことに注力しています。


また後継者の育成にも取り組み、日本の伝統芸能を後世に残すことを活動目標としています。

日光さる軍団では、劇場での猿回し、温泉に入るさる、様々なアトラクションを通じて華麗にパフォーマンスするさるを多く飼育、同時に全国での公演も行っています。

近年ではSNSでも猿まわしの魅力を広めようとしていますが、伝統芸能を後世に残すと言う観点では後継者が十分とは言えない状況となっています。


猿まわし師になりたい人は随時募集中。


観光スポットとして人気な日光さる軍団以上の魅力を世に伝えるべく、村崎太郎の挑戦は続きます。

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